2010年05月12日更新
「地鎮祭」や「上棟式」は必要か?
近頃では、地鎮祭や上棟式を形式的なものだとして執り行わない人が増えてきたと聞きます。本来、「地鎮祭」とは、その土地の神を祀り、工事の安全を祈願する目的で実施されるものです。また、「上棟式」は柱や梁など基本構造ができたとき、施工関係者への感謝の意味と竣工後の建物の無事を祈って行います。
では、地鎮祭や上棟式といった、いわば「しきたり」とも思えるこれらの行事は本当に必要なのでしょうか。その答えを考える前に、実際にあった例として地鎮祭実施までのやり取りを、まずはご紹介してみましょう。
これは、あるハウスメーカーとの話。いよいよ工事が始まるという少し前、窓口になっている担当者から「地鎮祭はどうしますか?」と聞かれました。「やったほうが良いのでしょうか?」と逆に返すと、「こればかりはお施主様の考え方次第なので」と前置きをしながらも、「迷われているなら、やられてはいかがですか、と私どもはお応えしています」とのこと(もちろん明確に自分の意思がある場合はこのような会話になりません)。
では、なぜすすめるのかというと、この回答がじつにバラエティに富んでいます。「その土地の神様に対する儀式」という一般的なものから、「工事をするものとしても気分的に良い」(安全祈願をした現場で働きたいという気持ちは当然といえば当然このこと)。あるいは、「万が一何かあった時に、後からやり直すことはできない」といった不安な気にさせる理由まで。そして、最後には「これも記念に残る行事の一つ」と言われました。これにはさすがに事の意味を見失いそうになりそうですが、じつのところ、これが案外決め手になって「ではやりましょう」となるケースが少なくないことも事実だとか。
話は少しそれますが、土地に一軒家を建てる過程を「近隣の立場として」見ていると、じつにさまざまなことが分かるものです。着工前の挨拶まわりにはじまり、工事中の交通整理、現場の整理整頓。音の出る作業の時間厳守に休憩時のマナー。ハウスメーカー、工務店、建築家を問わず、もし自分が施主だったなら「あそこには絶対頼まない」と思うことが少なからずあります。
まったく説明のない、ただの挨拶まわりをされると誰しも気分の良いものではありませんし、前面道路は毎日土だらけ、工事車両も当然のように路上駐車とあっては、その期間中、地域の人はたまったものではありません。工事は完成したらおしまいですが(業者さんは、もうその場には現れませんが)、近隣はそのことを覚えていたりするものです。「あの家の主は、どういう感性なんだろう」「この実態をわかっているのだろうか」と思ったことを、です。
かたや、丁寧にこれからご近所になる事を踏まえ、工事前から地域の仲間入りをする意識を持って接する方や工事関係者の方々がいらっしゃいます。こうした業者さんは、施主の土地以外の部分(例えば工事でかけた道路の補修など)にも細かい対応もしっかりされているような印象を受け、植栽さえも街の景観に彩りが足されたような気がします。どの家も、そんな良い業者が携わってくれれば、街並みが本当に美しくなるだろうな、と感心するものです。
業者を見定め、発注するのは「施主」です。自己満足に終わらない、地域に迎えられる家を建てることができるかどうかは施主次第といっても過言ではありません。そう考えれば、地鎮祭という機会を単なる形式的なものとしてとらえるのではなく、長年さまざな人々が暮らしを送ってきた地域の一角に、自宅を建築するための、まずはじめの正式なご挨拶と捉えることはできないものでしょうか。
もちろん、この考え方は決して押しつけるものではありません。が、もし単なる古い慣例と思われているとしたら、違う見方もあるのだということをお伝えできればと思い、あえて「不動産の基礎知識」として取り上げてみました。一般的な見方と言えるかどうかわかりませんが、ご参考にしていただければ幸いです。
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