2008年08月13日更新
衝撃のモデルルームから始まった
私は住宅雑誌での仕事を通じて、いくつかの編集部に出入りしています。人の家はさんざん取材していても、家を建てるノウハウについて多くの記事を作成していても、各誌の編集部員がみんな家を建てているかというと、そんなことは決してありません。
「都心のマンションのほうが便利」とか、「賃貸でもいいから住み慣れた町で暮らしたい」とか、「家づくりにとりかかるための時間がない」などなど、その理由や価値観はさまざまです。昔は私も「新築一戸建てに取り組むにはエネルギーがいるから、それなりに状況が整わないと」と答えを保留して、1Kの賃貸アパートに住んでいました。
でも、ある日、妻と一緒にふらりと近所の新築マンションのモデルルームを冷やかしにいったんです。そこには想像以上に貧困な空間が私たちを待ち受けていました。安っぽい内装に狭苦しいリビング。「3LDK」にするためにムリヤリ仕切られた末の3畳の洋室。何に使ったらいいのか途方にくれてしまう造り付け収納…。
そんな住空間に対して、パンフレットには天井の高さと掃き出し窓の大きさ、設備機器のグレードの高さなどをアピールするキャッチフレーズが並んでいました。
もちろん、居住性についてよく考えられているマンションも数多くあります。でも、私と妻はそのモデルルームを目の当たりにして「こんな監獄みたいなところに住むために数千万円も払えない」と感じてしまったのです。
自分たちの納得いく家に住みたい。住まいについてあらためて夫婦で話し合い、そんな価値観を確認しあうところから、家づくりが始まったような気がします。それは結婚して3年目、10年前のことでした。
マンションを購入せず、ずっと賃貸住宅で暮らすという選択肢も検討しました。子供が生まれればもっと広い部屋に引っ越せばいい。土地に縛られずにすむ、というメリットもあります。
妻「でも、一生家賃を払い続けるのってもったいないよね」。
私「年をとったときに”自分の場所”が確保できていないとツライんじゃないかな。引っ越し先を探したり、荷物を整理したりとか、心身に負担がかかるというか、落ち着いて暮らせないというか…」
その頃はまだ20代のサラリーマン。先立つものはないけれど、しっかり準備をすれば家を建てられるはずだ。私には住宅誌の仕事を通じて得た、ひとつの「勝算」が見えていました。次回「安い土地を探すには」でそのあたりを説明します。
- 渡辺圭彦プロフィール
- 1970年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、扶桑社「新しい住まいの設計」編集部に勤務。その後、(株)ハウジングエージェンシーを経て、編集・制作会社へ。2004年よりフリーに。著書に「家づくりのホント~欠陥住宅にハマらない心得」(週刊住宅新聞社)など。2009年2月に自邸が竣工。