2008年11月05日更新
ドキュメント・契約の白紙撤回
2008年の1月6日。A不動産にて不動産売買の契約を交わした日です。これに先立つ12月中旬には某地銀に住宅ローンの事前審査を依頼しており、希望する融資金額が可能だという返答ももらっていました。 購入を前提として、A不動産の営業マンのBさんには売り主さんへ値引き交渉をお願いしました。その間に私は年末の仕事納めの前に船橋市役所へ。建築指導課と都市計画課を回って、その敷地の法的な建築制限や周辺の状況について自分なりに調べてみました。「建主なんですけど」と言うと、役所の担当者はわりと親切にあれこれと資料を引っ張ってきて教えてくれました。そういう建主向けのチェックマニュアルのようなものも用意されていました。 近くに小さい川があるだけに、「海抜の低い土地で地盤は固くはないが、とくに開発制限がかかっているわけではないので大きな問題はないだろう」と担当者に言われてあらためて納得できました。 その後、何回か足を運んだその土地近辺は、全体的な印象として「普通に生活できる住宅地」という感じでした。昼間でもそれなりに人通りがあり、近隣の住宅も普通に車や庭の手入れが行われているようでした。設計を依頼した増井さんにも敷地の資料を送り、さっそく構想を練ってもらうことに。 さて、契約前にいろいろとローンの検討をしたかったのですが、Bさんはなかなか動いてくれません。「某地銀さんは当社とお付き合いが長いので、金利の面でも融資額の面でもよそより便宜をはかってくれますから」ということだったのですが…。 契約日の1月6日は日曜日。手付金の現金100万円を用意するのにちょっと慌てました。前日の土曜日にATMから50万円下ろしたら、そこでストップ。ひとつの口座から1日のうちにおろせる金額って50万円までだったのです。あちこちの口座からかき集めてなんとか用立てましたけど…。 そんなこんなの契約後、まず真っ先に問題になったのが、融資のタイミングの件でした。多くの住宅ローンの場合、担保となる建物が完成した時点で、土地+建物分の融資が一括で実施されます。ところが、注文住宅の場合、「契約時」、「上棟時」、「木工事完了時」など工事の段階ごとに中間金を工務店に支払うのが一般的。中間金を自己資金でまかなえるなら問題はありませんが、そこまでの財力がある人は、最初からローンなんて使わないですよね…。 しかし、Bさんがあてにしていた某地銀では、そうした中間金を先に払う「つなぎ融資」の制度がない、ということが判明。「え、今頃何を言ってんの?」と私たちもビックリ。最初から注文住宅で建てるって言ってるのに…。 仕方がないので、銀行を窓口に別組織がつなぎ融資を管理・実行するシステムを私たちが見つけ出し、検討することに。でも、調べるうちになんだかめちゃめちゃ手間がかかるし、そのシステムを利用するのに費用がかかるし、「なんだかな~」と納得のいかない状態になってきてしまいました。 さらに追い打ちをかけたのが、購入契約後に某地銀から返された「ご希望の金額は出せません」という回答…。おい、事前審査は通ったんじゃないのか? 「いや工務店さんが某地銀さんのエリア外なので、融資担当者が100万円少ない額しか出せないって言うんですよ」とはBさん。だから、最初から埼玉の増井さんに頼むからって、あんたに引き合わせてるだろ! さて、不動産の売買契約には通称「ローン特約」という条項が盛り込まれることが多いです。これは万一、想定通りに融資が下りなかったら、売買契約を白紙に戻しますよ、というもの。この期限が2月1日。つまり1月31日までに希望通りの融資が可能になるように手を打たねばならない状況でした。 契約をチャラにするわけにはいかないBさんも必死に他の銀行などを当たってくれましたが、私たちはすっかり気持ちが萎えてしまいました。1月9日にはわが家に第二子が産まれていました。家事と仕事に加え、融資の件でさんざんに振り回された私たちは、ひとつの決断をすることに…。 「もういいです。金利も融資条件も検討できないまま、無理矢理に成立させてもきっと後悔する。ローン特約の条項に基づく白紙解約をお願いします」。それは1月29日のことでした。 しかし、結局、この土地は私たちのものになったのです。その一発逆転の秘策は次回にて。- 渡辺圭彦プロフィール
- 1970年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、扶桑社「新しい住まいの設計」編集部に勤務。その後、(株)ハウジングエージェンシーを経て、編集・制作会社へ。2004年よりフリーに。著書に「家づくりのホント~欠陥住宅にハマらない心得」(週刊住宅新聞社)など。2009年2月に自邸が竣工。