2012年09月19日更新
震災から1年半。「もう」か「まだ」か
9月8日、仕事で岩手県大船渡市に出張することがありました。同地は岩手県陸前高田市や宮城県気仙沼市とともに三陸海岸南部(陸前海岸)の代表的な都市のひとつ。いわゆるリアス式海岸に面していて、水産業も盛んです。そして、東日本大震災の折には、津波により甚大な被害のあった地域です。 いまだにJR大船渡線は復旧していないので、大船渡市にアクセスするには、東北新幹線で一ノ関駅まで行き、バスに2時間半乗っていかなくてはなりません。 朝4時に起き、最寄り駅から5時の電車に乗って、9時に一ノ関駅に到着。バスに乗り換えてもしばらくは眠気がとれませんでした。 しばらく山道を走って、高台からのぞいたのは、美しい三陸の海。九十九里の砂浜を見慣れた目には、海面がとても近く感じられます。緑深い山の間に入り込んだ入り江の様子はとても穏やかで、しばらく見とれてしまうほど趣深い景観を呈しています。 そこからは下り坂が続き、港のほうへ下りていくと、また違った景色が見えてきます。気仙沼、陸前高田、といずれも津波被害のあった地域です。 バスの窓越しには広大な平野であるかのように見える地帯。そこには1年半以前には、港とそこを中心にした街並みが広がっていたはずでした。ガレキは一見かなり片付けられているようでしたが、一段高くなった丘は、よく見れば木片などが積み重なったものでありました。セイタカアワダチソウなどが覆っているため、ちょっと見には開発中の公園であるかのようにも思えます。 また草原のように見える一帯も、バスが近づけば、そこかしこにコンクリートの基礎が残っていることがわかります。そこには明らかに建物があったのです。 この風景がこの地における現在の「日常」となっているのでした。 バスはやがて再び山中に入り、高台にある仮設の役所や仮設住宅を通り過ぎ、大船渡の町へ入っていきます。津波に洗われたエリアと、免れたエリアがあり、それぞれまるで違う町にいるかのような景色が同居しています。どこまでが「以前」でどこからが「以後」なのか、それまでを知らない私たちには区別がつきません。取材で滞在した短い時間の間、軽いめまいがするような不思議な感覚にずっと包まれていました。 帰りのバスでは、三陸の海と港と山の景色をところどころ車窓越しに写真を撮っていました。片道6時間の旅の中で見聞きしたことをあとで自分なりに整理をつけてみたかったのです。私の「日常」であるわが家に帰ってからも、まだ整理はついていません。 これからも定期的に訪れてあの風景に向き合う必要があるような気がしています。- 渡辺圭彦プロフィール
- 1970年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、扶桑社「新しい住まいの設計」編集部に勤務。その後、(株)ハウジングエージェンシーを経て、編集・制作会社へ。2004年よりフリーに。著書に「家づくりのホント~欠陥住宅にハマらない心得」(週刊住宅新聞社)など。2009年2月に自邸が竣工。