2013年07月17日更新
消費する生活、生産する住宅
前回も触れた緑のカーテンは、おかげさまで本格的な夏を迎えて順調に成長しています。とくにキュウリは早々に花を咲かせるばかりでなく、次々に実をつけてわが家の食卓を飾ってくれるようになりました。
朝、起きてはプランターに水をやり、花や実、葉の様子を家族で見守るのはなかなかいいものです。キュウリを収穫するときには、なんだかワクワクします。
ふと思い出すのが、地方取材のときに目にする古い農家のこと。広い土間は雨天時の作業場所であり、裏庭には自家用の畑があったり。東北地方では母屋の隣に牛小屋が並んでいることもありました。住宅は、消費するだけでなく、生産の拠点にもなっていたのです。
田畑や家畜の面倒を見て、農閑期にはちょっとしたつくろいものや生活用具をこしらえたり。そこには、「会社」におけるものとはまた異なる、家庭内での「労働」がありました。
それは、ただ心身を消耗させるだけではなく、何かしらのモノをつくりだす、生産の喜びも伴っていたのではないでしょうか。まあ、わが家の家庭菜園のようにお気楽なものではなかったことでしょうが…。
現代では、「生産」と「消費」の場は明確に分けられ、私たちはもっぱら「消費する者=消費者」としてカテゴライズされています。ただ、いつまでも、モノやエネルギーを消費するだけの存在でいいのでしょうか。
現在、太陽光発電が普及を続けているのは、単に補助金がついているからというだけでなく、「生産」への憧れが心の根底にあるからではないだろうか…。
エネルギーをつくるというほどではないにしろ、何かを育てたり、つくったりする生産行為を住まいに内包させるのは、意外と大事なことなのかもしれない。
獲れたてのキュウリのサラダを食べながら、つらつらとそんなことを考えていました。
- 渡辺圭彦プロフィール
- 1970年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、扶桑社「新しい住まいの設計」編集部に勤務。その後、(株)ハウジングエージェンシーを経て、編集・制作会社へ。2004年よりフリーに。著書に「家づくりのホント~欠陥住宅にハマらない心得」(週刊住宅新聞社)など。2009年2月に自邸が竣工。