2012年08月29日更新
理想の「特養」はあるか その3
前々回、前回に続き、特養を含む介護施設
「ありすの杜南麻布」について。
最終回は南棟「きのこ南麻布」を運営する、きのこグループ本部長
篠崎人理さんにうかがった話を中心にお伝えしたい。
きのこ南麻布には特養もグループホームもあるが、
いわゆるスケジュールというものがない。
入所しているお年寄りは、自分のリズムで好きな時間に起き、ご飯を食べる。
家で生活していた時のように。
篠崎さんは言う。
「ぼくは、ここにいる人たちに『普通のお年寄り』になってもらいたい」。
確かに、一般的な介護施設にいるお年寄りは、
施設のルール、スケジュールによって管理されている場合が多い。
私も初めて、父がお世話になった特養に行って驚いたが、
入所者は勝手に外に出ることすらできない。
エレベーターのドアボタンは操作できないようにセットされ、
面会に訪れた家族は、施設の職員に頼んで開閉してもらう。
認知症のお年寄りが知らぬ間に外へ出て、
行方不明や事故にでもなったら責任問題だからだろう。
でも。。何というか、罪悪感や違和感を禁じえない。
これが、一生懸命生きてきた人間の、
最後に相応しい場所なんだろうか。
高齢になって、体や頭が不自由になったら、
普通のお年寄りでいることさえ、許されなくなるのだろうか。
やはり施設でなく、自宅で暮らさなければ
最後まで人間らしく生きることは難しいのだろうかという
私の疑問に、ありすの杜はヒントをくれた気がする。
それは「施設次第」だ、という。
昔のような大家族で、大人数で一人の親をみる、という時代と違い、
少子高齢化、核家族になり、子どもがたった一人で
親をみるようなケースの場合、自宅介護は行き詰る、と篠崎さん。
だからこそ社会で、プロの手で高齢者を支えようとしているわけだ。
大事なことは、お年寄りを一人にしないこと。
家族でなくともいい。一緒に生活し、話しかけてあげることだと
篠崎さんは、北欧のプロとの交流から学んだそうだ。
とくにターミナル(終末)ケアの場面では、それが大切だという。
ある時、交流しているスウェーデンの施設から
研修のためにスタッフが派遣されてきた。
ちょうどターミナルが近づいているお年寄りがいたが、
その人のベッドには、たまたま家族も、誰も傍にいなかった。
それを見たスウェーデン人スタッフが、
「家族が傍にいません」と訴えた。
「家族はそれぞれ忙しくて、仕方ないのです」と篠崎さんが答えると、
「それではなぜあなたが傍にいないのですか」と尋ねられたという。
その言葉は篠崎さんにとって大変なショックだった。
ターミナルが近づいてきた時、お年寄りを一人ぼっちにせず、
家族が無理なら、誰かがその代わりに傍にいて
手を握ってあげたりすることは、何より大事だったのだ。
きのこ南麻布のユニットケアのリビングで、昼食の準備をするスタッフ。
1ユニット10人ほどのお年寄りを、6―7人のスタッフがお世話する。
しかし、現在の日本の特養では、
そうした理想的な対応をするのは難しいのではないかと想像する。
もちろん、現場のほとんどの介護士さん達は、
誠実に懸命に仕事をしていると思う。
私の義妹も介護士だが、過酷な労働条件の下、
毎日健気にお年寄りのお世話をしている。
介護や特養をめぐる課題は複雑で、
一概に問題点を指摘できないが、
現状、介護の必要な高齢者の受け皿が少な過ぎるのは間違いない。
これからは、以前書いたような
サービス付き高齢者向け住宅なども含め、受け皿を増やし、
「良質の」高齢者施設や住宅が増えて欲しいと切に願う。
幾つかの取材や、自分の親の経験を経て
私が感じたのは、結局、施設の質を決めるのは、
運営事業者の考え方、経営方針なのではないか、
ということだった。
現在、そしてこれから介護施設や高齢者住宅が必要な方には、
その点も考慮して探されることをおすすめしたい。
- リビングジャーナリスト・「家の時間」編集主幹
中島早苗 1963年東京生まれ。日本大学文理学部国文学科卒。アシェット婦人画報社で12年在籍した住宅雑誌『モダンリビング』を始め『メンズクラブ』『ヴァンサンカン』副編集長を経て独立。約20年間400軒あまりの家と家族、建築家、ハウスビルダーなどへの取材実績を基に、「ほんとうに豊かな住まいと暮らし」をテーマとして、単行本や連載執筆、講演等活動中。著書に『建築家と家をつくる!』『北欧流 愉しい倹約生活』(PHP研究所)『やっぱり住むならエコ住宅』(主婦と生活社)『住まい方のプロが教えるリフォーム123のヒント』(日本実業出版社)『建築家と造る「家族がもっと元気になれる家」』(講談社+α文庫)他。